2019-08-22

国立の画家・臼井都先生のアトリエから

国立市にある、画家・臼井都先生のアトリエを最初に訪ねたのは1997年3月だった。当時、知り合いが先に絵を習っていて、油絵を描いてみたかった私は、なんとなく面白そうだとノコノコついていった。

狭い路地の奥にアトリエはあった。蔦の絡まるエントランス、手作りの郵便ポストや船舶のランプ、そして赤い小さな玄関ドア。どれ一つとってもまるでおとぎ話の家のようだった。ワクワクしながらドアを開けると、白髪の本人もまさしくちっちゃな魔女のごとしで、わたしはすでに「ここで絵を描き続けるんだな」と感じていた。

先生は、「ああ、初めまして。描いたことある?描いてみるでしょ?どう、何描く?」とろくに挨拶もしないうちに私に画用紙を渡した。ちょっとびっくりしながらも、アトリエでは何を描いても良いそうで、では、ということで憧れのデッサンをすることにした。

もともと絵を描くのは好きだったけど、本格的なのは初めてだったので、わけもわからず適当にいくつか並べて描き始めた。先生はあれこれ教えてくれるわけでもなく、たまに部屋に来ては一言ふたこと残してすぐにいなくなる。問題は、その一言ふたことが、「シャーっとやってシュっと締めるのよ」とか、何を言ってるのかさっぱりわからない。。。でも、そのスタイルも自分に合っていたのだと今ではつくづく思う。

大変さを知らない初心者は、夢中になって、ただひたすら対象を見つめては描いて消してを続けた。もうこれまで!となった時に先生に見てもらうと、「あら、案外上手いじゃない、ビンは下手だけど」と天真爛漫に言った。

はじめてのデッサン1997

それからというもの、ほぼ毎週土曜日、国立に、魔女のアトリエに通うことになり、何枚も何枚も描いた。その頃開業していた治療院の運営と親の介護も同時進行だったので、アトリエで絵を描いたり、先生とおしゃべりしたり、みんなとお茶を飲んで過ごす時間は、当時のわたしにとって本当に格別で非日常の世界だった。

その魔女も、94歳。一人で頑張ってきたが、ついに今年5月、特別養護老人ホームに入居し、今では筆を持つこともなくなってしまった。

思い返せば、先生が教えてくれるときの擬態語はなかなか理解できなかったけど、ふとした時に口から出る言葉にはいつもハッとさせられた。それは、画家が何を見つめてきたのかを垣間見ることのできる瞬間でもあった。認知症が少し進んだ現在でも、絵について語るときは、紛れもなく「画家」であり「絵の先生」としてバッサリと斬り下ろす。そのことに、教え子であるわたしは、「生きる」ことの本質を突きつけられるのだ。

一人の画家が、生涯見つめ続け、しかも老いてなお「まだまだ下手」という油絵の世界。わたしも少しで良いから覗いてみたいと、強く思うようになった。

そして、決めた。この秋から、武蔵野美術大学通信教育の学生として、「表現する」にとことん向き合うつもりだ。

関連記事