2019-08-24

58才でムサビ通信絵画コース編入を決めたわけvol.1

ムサビ通信には、これまで何度も入学を考えたが、卒業した短大の成績証明書を取り寄せることはしても、いざ出願までは到らず。決して安くはない学費と、「今さら?」という思い、何よりわたし自身が八ヶ岳に移住していたので、毎日やることは山のようにあり、気持ちに蓋をしていたようだった。

それにここ何年かは、油絵の師・臼井都先生もお年を重ね歩くのも大変そうだった。必然的にお教室は、自分も含め何人かの教え子が先生の生存確認も兼ねて顔を見に行くぐらいで、絵を描くという雰囲気ではなくなっていた。そのせいでもないが、わたしも油絵に取り組むことはめっきり減り、簡単なイラストなどは描いていたが、どこか満足していないことにも気づいていた。

今年に入り、それまでずっと一人暮らしで頑張ってきた先生もいよいよ難しい状況になり、後見人の判断で施設に入居することになった。お子さんもおらず、画家であったご主人もとうの昔に亡くなっていたので、唯一の親族である甥御さんと後見人の話し合いにより、アトリエの整理を早急にする必要が出てきた。とはいえ、ご主人のも合わせ、整理されていない膨大な作品と資料、それに何十年も集められてきたモチーフの山をどう処分したら良いのか。捨てるわけにも行かず、後見人も途方に暮れたようだった。

そこで駆り出されたのが教え子たちだ。戦後すぐ当地にアトリエを構え、多い時には何十人も子どもが習いにきていたくらいだから、本当にたくさんの人が駆けつけた。梅雨空の中、半世紀ものホコリにまみれた家やモノや作品たちを、何日もかけてきれいにする作業が延々と続く。

掃除をしながら、あちこちで「ああ、これ描いた」とか「よくイタズラして先生に怒られたな」とかいうセリフが聞かれ、それぞれにとってアトリエは、家や職場や学校でもない、何か特別な場であったのだ、ということがはっきりわかった。それは自分も例外ではなかった。治療院の運営と親の介護で先が見えない中、週一度、無心に絵を描くことができたのは、何よりの救いだったと改めて気づいた。

さらに、膨大な作品たちをこの手できれいにしながら、その色使いや筆のタッチ、絵に込められた思いや歴史などを直に感じ取ることができて、わたしはその圧倒的世界観に心の奥をがっちり掴まれ、激しく揺さぶられた。

その時にわかった。わたしが今、取り組むべきはこれだ。じっくり対象に向かって、それをカンバスに現すことで世界と対話するのだ。上手い下手なんてどうでも良い。他でもない、自分のために絵を描きたい。自分のために絵を描こう!

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