2019-08-25

58才でムサビ通信絵画コース編入を決めたわけvol.2

油絵の師・臼井都先生の一件は、ムサビ通信編入を決意させた一番の理由であるが、それ以前にも布石となることは大小いろいろあった。

思い返せば2年半前の55歳冬、わたしは八ヶ岳で3匹のワンコと暮らしていたが、そのうちの1匹、アメリカンコッカーの愛犬らくたが散歩中に突然息を引き取った。なんの前触れもなく、バッタリ倒れたかと思ったら、何かを訴えるような目線をこちらに向け、数秒後には息をしていなかった。恐らく、心臓発作だろうと今では思い当たるけど、その時は何もしてやれず、ただただ時が止まってしまったようで、あとははっきり覚えていない。

その悲しみもまだ癒えぬひと月あまりのうちに、今度は八ヶ岳で一番仲良しだったJちゃんが2年の闘病の末、子どもを4人残し乳がんで亡くなった。同じ東京武蔵野市から八ヶ岳に移住した彼女は、畑の整備からはじめて、大豆を育て、味噌づくりを4年間一緒にやってきた大事な同志だ。弱音を吐くのが苦手で、何事にも全力で取り組み、時に痛々しいほど前向きだった。

葬儀の日は、3月も終わりに近いというのに大雪で、どんよりとした空に、焼き場の煙がまっすぐに昇っていったのが目に焼き付いている。

これだけでも55の冬は打ちのめされるに十分だったのに、さらに追い討ちをかけるようなことが起きた。わたしは18の時に免許を取って以来、車をこすったり、ちょっとぶつけたり、ぐらいのことはあったが、ずっと無事故で運転してきた。なのにその日は、春の気配もあったせいか、路面は全面凍結しておらず、シャーベット状の雪がところどころ残っているという状態だった。そこに油断していたのか、仕事帰りで疲れていたのか、カーブでブレーキを踏んでしまったらしく、車がスピンして擁壁に正面からぶつかってしまった。

車は動かなくなっていたが、幸い怪我もなく割と冷静にJAFに連絡を入れた。ただそんな時に限って雪が激しく降り始め、JAFもあちこちで出動要請がかかっているとのことで、1時間以上寒さに凍えながら一人待つことになってしまった。

暗い山道で、張り詰めていた何かが、切れた。
「よくやった。八ヶ岳は、もう十分過ぎるほど楽しんだ!」

それから、移住生活撤退の準備を始めた。まだ仕事をしていたので、すぐ、というわけには行かなかったが、山の家にあった大好きな古道具や本や服などをあらかた処分し、56になる直前の夏の始め、わたしは東京に戻ってきた。

東京では、2匹の老犬の治療代がかかることもあり、近所で仕事を見つけてそこそこ楽しくやっていたのだが、戻ってからほぼ1年後の2018年9月、今度は姉がJちゃんと同じく乳がんでこの世を去った。61才だった。

身近なモノの死は、否が応でも命について考えさせられる。両親を送った時は、悲しいけれど「順当」だ、という感じがあった。でも、友だちや年の近い姉、挨拶もせずにさよならしていく犬や猫(ウチのはみんな=フレブルのサンタ、アメショミックスのマチュン、アメコカのらくた=突然逝ってしまった)は、【死】は必ず、時に突然やってくる、ということをこれでもかと突きつける。

そこにきて、臼井都先生の一連のできごとは、ムサビ編入を決める最後の一押しとなった。【死】は明日来るかも知れない。来ないかも知れない。でも、やらないで「明日来なかった」より、やって「明日来た」という方がはるかに自分に OKを出せる気がする。

願書を投函する時には、もう迷いはなく、期待しかなかった。

−−−ところで、まだ入学許可証が来ただけで、何も始めていないのにこれほど熱く語って良いのだろうか?まあとにかく、最後までやるしかない。これからも感じたこと気づいたことを書いていくので、どんな形でも良いから応援をお願いします。

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