プロフィール

1961年8月

武蔵野市吉祥寺生まれ
4人兄弟の末っ子(兄1姉2)

幼少時は、家業が新聞屋さんだったので、勤労学生など家には常に誰かがいた。従業員だけでなく、おばあちゃんや近所の子どももいたりして、どこまでが血縁なのかはっきりしないまま育った。それは自分の血肉となっているらしく、どんなところでも臆するコトなく、「最初からずっといるみたい」と言われる。

多動傾向があり落ち着かない子どもだったが、父親の影響もあり、外遊びやモノツクリが大好き。でもその反面、絵を描くこと・ボーッと空想の世界にひたることも好きで、昔は屋根の上で干してある布団によく転がって雲を眺めて遊んでいた。

1968年〜1987年 惑う思春期、種まきの時期

小学校は地元の英才教育の有名校。そこで生涯の知性をほぼ使い果たしたため、中学は公立に進学し大過なく卒業。

都立神代高校に入学すると、面白い連中が多く、一気にはじける。この時の友人に会うと、「神代は大学の時より大学みたいだった」という話がよく出る。ラクガキが得意で、勉強もせずラクガキばかりしていた。

その後、短大美術科を卒業、大手自動車メーカーの宇宙航空事業部にてOL業5年。原材料や部品、資材の調達管理に携わる。仕事は面白かったが、20代の女性が、億単位の取引を注文書一枚で動かすことのリアリティのなさに疑問を持つ。

1987〜1990年 20代、バックパックで得たもの

時はまさにバブル狂気へと突入しつつあった時代。世の中のざわつきにも嫌気がさし、結局5年で退社、相方とともにワーキングホリデービザで渡豪。

オーストラリアでは、4.0ℓのモンスター車に乗り、途中巨大リンゴ農園でバイトしながら大きなコンテナーを運転したり、田舎のオヤジさんのキャラバンカーで居候したり、無人島にカヌーしたり、アボリジニと交流したりと、バブルとはまるで無縁の生活。

ただ、楽しいことばかりでなく、先住民アボリジニが住むところを追われ、アルコールに溺れざるを得ない生活をしている姿にも遭遇。もともと、自然と深い関わりをもち、文字に頼らずともその叡智を継承してきた誇り高き人々。彼らのような、資本主義という違う価値観を押し付けられアイデンティティを失ってしまった民族が、世界にどれだけいるのだろうと考える大きなきっかけになった。

一年余り滞在後、今度は東南アジアのバリ、ジャワ、スマトラ、シンガポール、マレーシア、タイ、ラオス、ベトナム、カンボジア、再度タイをバックパックで旅する。終盤は、縁あってタイ国境付近のビルマ(現ミャンマー)難民キャンプにてボランティア(自立支援、クリニックへの募金など)をする。

この旅で、本当に多くの人たちにお世話になり、またかけがえのない経験をすることができた。基本的に、世界は優しさに満ちている、と信じられるのはこの時出会った様々な人、コトのおかげだと思う。

また、旅も2年半もすると、旅が日常となり、ザック一つでどこでも生きられるという妙な自信がつき、それはいまだに自分の根底を流れている。

1990年〜1999年

資金も底をついたので、都合2年半にわたるバックパックの旅も泣く泣く終えることとし、90年に帰国。しばらくは任意団体【ビルマ問題を考える会】事務局として、勉強会・報告会の開催、募金集めなどの活動を行う。

その後、自然体験系の財団法人に就職、指導者養成や、全国規模の大会運営に携わる。

この頃から、国立の臼井都先生絵画教室にて本格的に絵を描き始める。

また、バックパック旅行中より、都市部より田舎に行くほど人々が暖かく親切であることが身にしみており、子どもたちの純真な姿にも胸を打たれ、経済的豊かさや西洋主義に決定的に疑問を感じ、老荘思想などの東洋思想にのめり込む。それを体系づけて学びたいと考え、鍼灸師になることを決意。

働きながら、日本鍼灸理療専門学校夜間部に通学、97年鍼灸あん摩マッサージ指圧師の資格取得。同時に財団法人を退職し、鍼灸治療院、整形外科、整骨院などで研修を重ねる。

98年に父親が脳出血で倒れ、介護生活が始まる。

1999年〜2008年

介護しながらも、99年に独立。女性のための治療院「なゆた堂」院長・鍼灸師として、主に働く女性の心身のケアを行う。時期を同じくして、最初で最後の飼い猫、アメショミックスのマチュンを飼い始める。

08年、父親の介護に専念するためなゆた堂を閉院。しかし、間もなく父も他界。10年に渡る介護が終わり、ある種のロスを経験。だが、山のような残務整理が残っていたので、1年ほどかけて処理していく。

2010年〜2017年 移住生活は悲喜こもごも

父親の死後の整理も終わった2010年、かねてより目論んでいた移住を決行する。1年目は、信州小諸市と上田市の間の高原の町、東御市というところに家を借りて住む。最初の保護ワンコ、フレブルのサンタを引き取る。だが、「ここは何か違う!」と思い、翌2011年、震災の翌日に八ヶ岳に引っ越す。半年間で、ワンコ3匹(全て保護犬)が増え、にゃんこ1匹、ワンコ4匹との八ヶ岳暮らしが始まる。翌年の2012年、諏訪郡富士見町に中古の家を購入しやっと落ち着く。

しかし、この頃から今度は母親が体調を崩し、東京と八ヶ岳の往復生活が始まる。大雪で中央道が閉鎖になり、21時間かけて東京に帰ってきたこともあった。

八ヶ岳ではチェーンソーや斧を手に、小屋作り、薪作り、家のDIY、大豆からミソや醤油をつくったり、御柱祭りを堪能したり、夏には『遊びの達人・サマーキャンプ』を実施するなど、The 田舎暮らしをことん楽しんだ。この間のたくさんの出会いと経験も、自分にとっての大事な大事な宝物だと、心から思う。

タイニーハウスを作る計画をしていた2017年、愛犬の突然死、八ヶ岳の親友の死、雪道でのスリップ事故と立て続けにありえないことが起きる。このまま突き進むべきか悩んだ末、一旦移住生活を撤退することを決め東京に戻る。

2019年

武蔵野美術大学通信教育課程油絵科3年次編入

works

【bodyworks】
98〜08女性のためのはり灸治療院なゆた堂院長
06〜07ゆる体操教室指導員

【art/イラスト】
2004高岡英夫著『歩きの革命』イラスト担当(ゆるなちゃんスネオくん)
2014白金弘重ギャラリーにてグループ展

【資格等】
鍼灸あん摩マッサージ師(国家資格)
元ゆる体操指導員
アトリエYS「表現アートセラピーファシリテーター養成講座」修了