2021-08-31

よみがえる魔女の館、中本達也・臼井都記念芸術資源館

国立駅からしばらく歩いた路地の奥。そこには、小さな魔女が住んでいた白い館がある。本当の姿はおばあちゃんの絵描きさん。少し丸くなった背中と、おかっぱに切られた白髪の老女が歩く姿は絵本の主人公のようだった。

私がその館を初めて訪れたのは、24年前、1997年3月。魔女がやっていた絵画教室に知人が通っていて、絵を描きたいと思っていた私も見学させてもらうことにしたのだ。その時のことは、別の記事で書いた。

国立の画家・臼井都先生のアトリエから

主人のいなくなった館はボロボロだった

2019年5月に先生が特別養護老人ホームに入居され、あとには膨大な数の作品、資料が残された。アトリエ自体も、戦後すぐに画家のセンスで建てられた魅力的な建物だが、ペンキは剥げ、とにかくあちこちガタがきていた。

先生には子どもがいなかったこともあって後見人がついていたが、すべては売却する方向で話は進んでいた。

早くに亡くなったが、ご主人も絵描きで多摩美の教授、魔女先生もずっと絵画教室をやってきたので、本当にたくさんのお弟子さんたちがいる。

その中の一人、後見人から作品の処分などの相談を受けていた日本画家の近藤幸夫氏を中心に、掃除と片付けをするプロジェクトが始まったのが6月からだった。

魔女先生は、あまり自分の作品を誇示したり、展示会もほとんど開催してこなかったので、作品群がまともに人目に触れるのはおそらく初めてのことだったろう。

そこには、圧倒的な時間と熱量が込められた油絵たちが、ずっと日が当たるのを待っていた。

50年以上前に描かれた若き頃のエネルギッシュな作品や、近年白内障を患い「暗くて見えない」と言いながらも重ねられた柔らかい色合いの小品たちは、見る人に何かを問うているようだった。

芸術資源館として

アトリエも作品たちも、国立の文化・芸術の歴史を物語っている。何とか残したい。弟子の思いは共通だったが、それにはアトリエを買い取るしかなかった。でも、そんなお金も術もないとほとんどの人は思っていた。

だが、近藤氏が動き始めた。広く呼びかけ、本当に買い取って、芸術文化発信の拠点としてのアトリエ復興を実現させてしまったのだった。

地域の工務店や塗料会社、造園関係、もちろん弟子たちをはじめ多くの人々の力を借りて、建物の改修、耐震を行い、財団としてスタートを切った。

一般財団法人 中本達也・臼井都記念芸術資源館 国立アトリエ

屋外ギャラリーのDIY

臼井アトリエ改修

改修もいよいよ最終段階を迎えた。私自身は、ムサビの課題に追われ、ほとんど手伝うことはできなかったのだが、先日やっと時間を見つけて、35度を超える酷暑の中、ペンキ塗りと釘抜きの作業のお手伝いをしてきた。

絵画教室に通っている時、ボロボロになっていた雨戸の戸袋にペンキを塗ったり、庭にあったたくさんの樹木の手入れをしたりしたことを思い出した。いつもバナナの入ったカレーを食べさせてくれた。

わたしにとっては、仕事や家庭とは違う大切な場所。そこが新しく生まれ変わったことを、本当にうれしく思う。自分も負けずにリノベーションし続けなくちゃ、とやや熱中症になりながら心で呟いた。

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